RPGというゲームの中で生きる人々
FLSのプレイヤーさんの日記やBlogは結構ありまして、どれも良い出来です。
Gとしては感動しまくりなのですが、その中でもFLSのプレイヤーである、
Fedoraさんのプレイ日記 (http://blog.goo.ne.jp/fedora_fls)。
前から良く読んでいたんですが、これほどまでにFLSの主旨を理解して遊んでくれているかと思うと嬉しい限りです。
Rasterの日記についで感動しました。
(彼の日記も「彼」の視点からの物で素晴らしい視点です)
TRPGからNWNときて、Gが最もしたかったRPGの一部分であり最も大事に思っている(いわばGの中ではRPGの核だと思っている)部分。
GはRPGというものを「もしそのキャラクターだったら・・・という事を考える事自体」だと思っておいて、ソレが全てであると言っても過言でないと思いこんでいます。
「数字的な成長やアイテムを所得したりする」のはそういった「考える事自体」の付加要素であり、それ自体はRPGではない・・と。
プレイヤーには見えない、ダンジョンの壁の質感、湿った空気、命のやり取りをする緊迫感あふれる空気。
そして信頼できる仲間と己の存在。
その生命感自体を感じて(実際には想像して)遊ぶ事自体ですね。
そうしてプレイしながら、キャラクターとプレイヤーの一体感を得ながら共に経験し、成長して行くわけです。
俺はお前でお前は俺。 喜びも悲しみも共にある。 いつしかお前が滅ぶとき、俺は胸を張って言えるだろう。 数十年経ち、お前を思い出したときに友人のように語るだろう。 「それはまさしく自分とは別の、生きた一人の人間だった」と。
そう言う「思い出」として確固たる物になるまでキャラクターを作り上げプレイしていくサーバーポリシーですが、難点は幾つもあります。
プレイヤーのエゴがキャラクターに関わらないように細心の注意をDM達は払い、在るものはあるがまま、過去は覆らず、どんな事象も一つの経験として非情なまでに積み重ねていきます。
人間は誰しも弱い物ですから、「自分の思い通りにならないとストレスが溜まる」わけです。
ストレスに負けてプレイヤーのエゴをすり替えてプレイしてしまえば、その瞬間に「彼」は彼ではなく、単なる「都合の良い空想」の産物に成り下がってしまうわけです。
FLSから始めた人達は、余り苦にしないみたいですが、MMOとかメタゲーム系のTRPGから来た人、ヒーロー系のTRPGから来た人達に対しては「プレイヤーの努力を必要としてしまうRPGポリシーに果たしてプレイヤーが耐えられるのか?」というジレンマはありました。
MMO等は、数字的な成長や資産ありきの「貯蓄&成長ゲーム」ですしね。
(ゲームによって違うのかもしれませんし、それをRPGと呼ぶのかもしれませんが)
不安要素はたくさんありました(いまもありますが)
けれども人間、慣れれば(開き直れば)どんどん上手くなる物で、彼のように日々の経験が血となり肉となって、数字に見えない部分が成長していくキャラクターを見ると、「あぁやってて良かった」と思うわけです。
FLSも所詮RPGの一ジャンルにすぎないし、RPGは多種にわたっていて色々な遊び方があります。
元々RP系に対してメタ系(H&S系)がRPGでは近年王道になりつつあるのでRP系は少ない。
(TRPGだと第3世代が増えているのでその限りじゃないんですけどね)
NeverwinterNightsのRPサーバーは今のところ日本で1つだけしか存在しませんが、こういうプレイヤーが増えていけば、もっと様々なRPサーバーが建つ日が来るかもしれませんな。
何はともあれ、彼のようなプレイヤーは是非ともキャラクターを15レベルまで上手く生き抜いてもらってDMになって頂きたいところです(^^;