最近やっと遊べる

 1、2ヶ月前ぐらい前から気が付いてたんですが、自分でFLSのぷれいやーをやって「やっと楽しく遊べるRPGサーバー」になってきました。

 実は、いままでプレイヤーをやっても「ひとっつも楽しくない状態」だったんですね。

 自分が作ったダンジョンも、システムもデーターも、作った本人は「よく知っている」わで、いくらキャラクターを作ってプレイしても意味がないように感じてしまうワケです。
(自分で作った映画を「鑑賞」してもつまらないのと同じですね)

 ところが1、2ヶ月前ぐらいから、プレイしていて楽しくなってきました。
 システムやクエストが複雑膨大になって良い意味で自分が手に負えなくなったから・・・と言うのもありますが(笑)
(つまり、作った物を忘れるほど量が多いので、新鮮みがあるんですね)

 あと、最大の部分として「ランダムな要素が織りなす結果」というのがありますね。

 現在のFLSではクエストを出題してくれるギルド員の手配書がランダム(270個中3個をランダムで提示)したり、キーポイントになる宝箱などは、一定時間毎に移動したりしています。

 もともと、プレイヤーが飽きないように入れた要素でしたが、儂自身がプレイしたときにも未知なる冒険を与えてくれました(副産物ですね)
 
 で、どんな話につながるかというと。

 儂は若い頃のTRPG「シナリオをキッチリ作って一本道もどき(多少の分岐はあるけど、あくまで数個のマルチエンディング程度)」のマスターでした。

 如何に演出に凝るか、如何に感動的なシナリオを書くか、ドラマティックな物語を提供するか?・・・に情熱をかけていたような気がします。

 ただ、それは創作・披露の楽しみであって、プレイの楽しみではなかったのではないかと最近思い始めました(人によるんだろうけどな)

 DMとしてプレイして楽しいとか、制作者がキャラクターをやったときに楽しい・・・というのは又別の所にあり「それもTRPGの楽しさの一つである」と言う事。
 
 大きなお世話なのだろうけど、NWNの世間の常設運営者は楽しんでいるのだろうか・・・と疑問もよぎってましたよ(^^;

 「制作して発表して、プレイヤーが集まる」そりゃ、それも嬉しいのに違いないですし、正しいとも思います。
 現に私もプレイヤーが増えると「うれしい」(楽しいではない)

 だけれども、そこしか見てないと、作った物は創作・披露する為だけに存在する、個人画廊に過ぎなく、客が来なければ落ち込んでしまう事になりますね。

 やっぱりRPG「作った本人が、1プレイヤーとして遊べるようになってからが一人前(スタート地点)」 だったのではないかと考え始めました。

 シナリオやルールも、いっしょね。

 自分しかマスター出来ないシナリオは半人前で、様々な人がプレイできるシナリオ・ルールを作り、それに自分が「作った側としてではなく、単に一プレイヤーとして参加して楽しく遊べて初めて一人前のシナリオやルール」だと。

 今まで「知っていて、理解はしていても、実感していなかったんだ」とつくづく感じますな。
 NWNの常設サーバーを建てての二年以上、TRPGゲームマスターとしても得る物は大きかったと思う。

 つくづくFLS(この場合は参加しているDMとプレイヤー全てを指す)に感謝。